――その翌日。 「なぁ。昨日はどうしたんだ? いきなり休んだりなんかして」 本日の授業を数個ほど消化した後の休み時間。 自身の席で考え込んでいた白斗の眼前に、誰かの両手が乱暴に叩きつけられた。 ゆっくりと顔を上げると、口の端に笑みを浮かべた山寺が前傾姿勢をとっていた。 「お前、よく遅刻したりサボったり途中でいなくなったりするけど、最初から最後まで休んでたのは初めてだからよ。何かあったのかって気になったんだが」 「……」 理由を正直に答えるわけにもいかず、とっさに適当な言い訳を考え始めると。 「ま、いいか。たまにはそんな事もあるよな」 興味がすぐにそれたのか、相手はそのまま大きくうなずいた。 「ところでよ、ゴールデンウィーク中、お前は何してたよ? 休みは五日間もあったんだぜ?」 「……。草むしり」 当たりでもなく外れでもない無難な答えが、今度はすぐに思いついた。 「やっぱいつものバイトってヤツか。……まあそうだよな。お前はその間に勉強とかしてるようなガラじゃないよな。俺もだけどよ」 楽しそうに手を叩きながら笑う相手は、ふと何かを思い出してその動きを止めた。 「……ところでゴールデンウィークと言えばよ、その頃に街中に空いた大穴の話、知ってるか?」 「……」 知ってるも何も、現在その件で頭を悩ませていた。 「突然馬鹿デカい大穴が街中のあちこちに出来たんだと。地盤沈下だとか水道管の破裂だとか言われてるけどよ、俺としちゃあ何か事件の香りがするんだ。なにせ、五カ所もあるらしいからな」 「五カ所……?」 直前に聞いた、同じ『五』という数字が白斗の頭を一瞬で駆け抜けていった。 無意識の内に席から身を乗り出し、山寺に逆に詰め寄る。 「最初に穴が見つかった場所は?」 相手はこちらの雰囲気に気圧されたのか、若干身を引きながら頭をかく。 「……確か、駅の方の商店街だな。夕方頃大穴が出来たって俺は聞いたぜ」 「……。大穴は五カ所、ゴールデンウィークは五日」 つぶやきつつ、席を蹴るようにして立ち上がる。 「椎間板ヘルニア性急性アルコール心筋デストロイヤー症候群で死にそうだから早退する」 「……は?」 目をパチクリさせるクラスメイトを無視しふと横を向くと、今しがたの会話が耳に入っていたのか、葵がうなずいた。 「つまり、毎日一カ所ずつ大穴が出来た、ってわけかよ?」 隣を歩いていた光輝が自身の指を折りつつ、もう片手で頭をかいた。 平日の昼間に街中を出歩いている制服姿の三人が物珍しいのか、周囲の通行人や店先からは数多の視線が投げかけられる。ただ、光輝も葵も全く気にしてはいないようであったが。 『……』 ふと頭上の幽霊の姿を見上げると、彼女は口元に手を当てて何かを考え込んでいた。 いつもなら、ため息でもつきつつ周囲からの視線を気にしている頃合いであるはずなのに。 恐らく、クレアも今回の事件について真剣に考えをめぐらしているのだろうと白斗は思った。 そんな事を考えつつ、今しがたの言葉に返事を返す。 「ああ。あの穴は商店街と公園以外にもあったらしい」 「確かに……これはアヤしいわね。裏に絶対何かあるに決まってるわ」 「で、その大穴がある場所ってのは……あー、少し前に時雨が何か言ってたな……。ちゃんと聞いときゃ良かった……」 「分かったわ。こっちで調べてみる」 頭を抑えてうめきつつ同じ場所をぐるぐると回り出す光輝の隣で、葵が携帯電話を取り出す。 彼女は慣れた手つきでとある番号を呼び出した。そして数コールの後、 「……。あ、もしもし? ちょっと教えてもらいたい事があるんだけど……え、授業中? ……馬鹿な事言ってないでこっちの都合も考えなさいよ! 急ぎの用事なの!」 それから数十秒後、フン! と鼻息荒く通話を終了した彼女は、こうつぶやいた。 「……商店街、線路沿い、学校近くの空き地、寄宿舎近くの路地裏、そしてあの児童公園」 「……」 すぐさま頭の中で地図を思い浮かべ、それらを線にして繋げてみても、特にありがちに何かの図形を描いているわけでもない。 それは光輝も同じだったようで、ただ首をかしげていた。 「ともかく、これらの場所で五日間の内に確実に何か(・・)があり、その最終日に偶然悠が巻き込まれた。そうとしか考えられない」 「ああ。つまりは、全部一つずつ回って確かめてみるしかないって事だな。とりあえず、最初に穴が出来たっていう商店街に向かってみようぜ」 だが。 「……あれ? 前は確かこの辺りに……」 その商店街のとある一角で、キョロキョロと周囲の地面を見回す光輝。 数日前まであったという大穴も、立ち入り禁止のロープも、何も見当たらない平常通りの風景だった。 「んーと、ここじゃない? ほら、なんか表面がやたらと黒いし」 言いつつ、葵が真下のアスファルトをつま先で蹴りつけた。 流石に人が落ちてしまいそうな大穴の放置はまずいと思われたのか、既に工事により塞がれてしまったようで、そこだけ真新しいアスファルトの照りがやけに目立つ。 「くっそ、無駄足かよ……」 頭をかきながらぶつぶつとつぶやいた光輝が近くのフェンスに寄り掛かり、葵が近くの自販機でオレンジジュースのボタンを連打し始めたところで、白斗は制服のポケットから携帯電話を取り出した。現在時刻は正午過ぎ。 「残り四カ所、ここからは二手に分かれて調べた方がいい。あと少しで病院から悠が戻ってくる頃合いだろうし」 「そうね。短い間でも入院してたなら、ちゃんと迎えに行きたいもの。で、大穴回りの分担はどうするのよ?」 ぷはー、と息を吐きながら首をかしげる葵。同時に柑橘系の甘い匂いが辺りに広がった。 「俺は学校の方を見てくるから、そっちは駅から寄宿舎付近にかけてを頼む」 言うなり彼は踵(きびす)を返し、今来た道を戻っていく。 ……。 そして白斗の姿が曲がり角の奥に見えなくなってから、葵が頭上を見上げた。 「さてと! あたしたちは駅方向に向かいましょ! とっとと行くわよ、クレア、光輝!」 『……そうだな』 「ああ、確か線路沿いだったな! あっちならまだ穴が残ってる可能性も――」 そう返した彼が、ちょうど色が青に変わった横断歩道へ走り出そうとすると。 「やー、今日も街中を走り回るなんて、大忙しッスよねぇ」 ふと背後から声が聞こえ、二人と幽霊は同時に振り向いた。 そこでわざとらしいまでの笑みを浮かべながら小さく手を叩いていたのは、昨日も見かけたあの男性。 「便利屋のお仕事に、今度は街中の大捜索、と。そういう青春劇、僕も応援したくなっちゃうッスよ」 笑い声を上げながら目元のサングラスをかけ直した、不審者然とした彼。 『……誰だ、こいつは……?』 先ほどまでずっと静かだったクレアでさえも、今はこの人物をしきりに警戒していた。 「……。ねーちゃんと知り合いなのかよ?」 眼前の相手の名前を呼ぼうとして、その事をまだ知らない事に気付いた。 「ああ、秋津さんとはお仕事上での関係ッス。特に怪しい事は無いッスよ?」 それは隣でいぶかしげな表情を浮かべている葵も同じだったようで、 「それでアンタ、名前はなんて言うのよ?」 「名前? そうッスね、じゃあ……クロード、とでも呼んでほしいッス」 「何それ。外国人? 変な名前」 半分ほど残ったジュースの缶を片手に葵が今の感想を率直に述べると、相手は頭に手を当ててカラカラと笑った。 「いやぁ、よく言われるンスけど、まあ、ただのニックネームみたいなもんスから」 そしてひとしきり笑った相手は、ふと何かを思い出したかのように唐突に手を叩いた。 「そうそう。じゃあ僕からも、君たちに一つ質問いいッスか?」 「……?」 「悠ちゃんの具合は、どうッスか?」 一瞬、辺りにバチッ、と何かが弾ける音がした。そしてほぼ同時にきらめく、山吹色の光。 ぎょっとしてクレアが横を向くと、いつもの笑みが消え失せて完全に無表情になった光輝が、ポケットに入れていた片手をゆっくりと引き抜いていた。 「……なぁ、アンタ……悠に何かしたのかよ……?」 それが何(・)を意味するのかは、クロードとかいう男も雰囲気で察したのか、 「ちょ、ちょっと待った、僕は全く何もしてないッス、誤解ッスよ、ストップ、ストップ!」 慌てて両手をひらひらと振る男。しかし、その口元はやはり笑みの形を保ったままである事をクレアは見逃さなかった。 「イヤだなぁ、僕は単に悠ちゃんと少しばかり話がしたいだけッスよ。あの子が入院してるって事を、秋津さんから聞いたンス」 そこで本人なりに合点がいったのか、葵が小さく息を吐き、ジュースの残りに口を付けた。 「……。あの子なら今日の午後退院するらしいわよ。あたし達もそのうち迎えに行くつもりだったから、どう? アンタも来る? ただし、あの子に変な事したら承知しないわよ」 「それはありがたいンスけど、今はやめておくッス。悠ちゃんが完全に元気になってから、改めてお会いするッスね」 「ふーん、そう。じゃ、あたしたちはまだ用事があるからそろそろ行くわね」 クロードに片手を振りつつ後ろ向きで駅方面へと歩き出す葵。相手もサングラス越しに笑みを浮かべ両手を振り返してきた。 ふと背中にドン! と衝撃があり、彼女はその場に尻餅をついた。同時に飲み残しが入っていた缶が宙を舞った。 「痛たたたた……ちょっと! 前向いて歩……いてなかったのはあたしだけど、そっちにも非が無かったとは言わせないわよ! とりあえず慰謝料!!」 そう叫びながら立ち上がる。 が。 「……あれ? 今あたしにぶつかってきた周りの迷惑も考えない非常識な奴は?」 「……さぁ?」 二人してキョロキョロと辺りを見回しても、葵がぶつかったらしき人物は既に雑踏に紛れてしまったのか影も形も見えなかった。 「クレア、何か見てない?」 『……ぶつかった相手は急いでいて、気にしてもいなさそうだったな。あと、周りの迷惑も考えない非常識な奴なら私の目の前にいるぞ』 「そっ。いなくなっちゃったんなら別にいいわ。……あーあ、もったいない。数十円分くらいは損したんじゃないかしら」 完全に後半部分が耳に入っていない葵は、ぶつくさつぶやきながら空き缶を近くのゴミ箱へと放り込む。 ……。 「さ、気を取り直して大穴の場所に行くわよ! 変に時間取られちゃったけど、終わったらちゃんと悠を迎えに行かなきゃ」 『……ああ、そうだな』 「それにしても何だったんだ? さっきの人」 「さぁ? 前に便利屋のお使い関係で悠に一目ぼれした依頼主とかなんじゃない? もし変なストーカーとかだったらドロップキックしてやる」 やー、と叫びつつ拳を振り上げる葵。 それから二人は、大穴があるという線路沿い、そして寄宿舎近くの路地裏を調べに行った。 しかしながらそこも既に穴は埋められてしまい、他に何をしようとも一向に手がかりは掴めなかった。 それでもクレアが驚くほどに二人は真剣に、その場所の捜索や周囲への聞き込みを続けていった。 先ほど出会った人物の名前と、その具体的な特徴を忘れるくらいに。 学校近くの空き地に白斗が到着した時には、既に大穴を埋める工事が重機によって行われているところだった。 周囲には何本もの赤いコーンが立てられ、その奥には黒と黄色のロープが張られている。 「……」 無理やり踏み込むと警察や学校関係者を呼ばれそうだったので、大人しく例の児童公園に向かう事にした。 自身の生活態度が、学校では余り快く思われていない事は自覚していた。 最も、だからと言って改める気も毛頭無かったが。 そんな事に、大して興味は無かった。 まだ平日の正午過ぎであるからか、いつもはやかましいほどに響いている子供たちの歓声も聞こえてこない、はっきり言って全く人気の無い児童公園。 その植え込みの奥に、白斗は足を踏み入れる。 そして。 「……あった」 中に踏み込む事を想定されてない場所であるため工事が後回しになっているのか、もしくは施設の管理者側が存在に気づいていないのか、どちらにせよ大穴はまだ残っていた。 表面の土が乾き、足をかけるとぽろぽろと崩れ落ちるその中にしゃがみこむ。 一昨日と同じように、いくつもの大穴群は中心の無傷の地面を取り囲んでいた。まるで台風の目か何かのように。 そしてそこは、ちょうど人が一人横たわれるくらいのスペース。あの日、悠が倒れていた場所。 「……」 足元の大穴のうちの一つ、その円周上の一部分が欠けていた。 それはあの時、自分と光輝が踏み込んだ痕跡であるとすぐさま気付いた。 ふと背後を振り返ると、大穴の一部は植え込みすらも飲み込んでいた。 そこの部分だけ綺麗な弧状に削られ、まるで最初からこのような造形であるのかと思ってしまうほど。 だがしかし、削り取られた部分の植え込みの葉や枝、そして大穴群の残土はどこにも見当たらない。 そして、それを搬出したはずのトラックや人が踏み込んだ跡も。 他に何か見つからないかと、中心の平地に立ち目を凝らす。 均等な深さ広さであり、まるで何か機械を作って掘られたような大穴を。 「……?」 そこでふと気づく事があり、木刀を手荷物の中から取り出した。 そしてその切っ先を一つの大穴の中心部に突き立て、それから木刀の柄部分を穴の端までゆっくりと動かしていく。 「……まさか」 同じ事を他の穴でも何度か試し、そこで白斗は確信した。 これらの大穴群は、完全な球体であると。 普通の重機などでは決して作られる事の無い、かと言って何かの精密機械を使用するには余りにも似つかわしくない場所。 そして、それが意味する事とは。 同時に、脳裏に最近の自身の上司の不審げな挙動、そして紫苑の言葉が思い浮かんでいた。 「では、お大事にー」 「……。お世話になりました」 入院に要した手荷物を持った悠は、待合室の受付に頭を下げつつも心の中で小さく息を吐いた。 今朝からずっと、身体は毎日の食事の栄養バランスが基本、食べないのは論外で自殺と同じ、と熱弁する医師に、ここで昼食も食べていきなさい、どうせあなた抜くつもりでしょう、と言われ――事実そのつもりだったのだが――早めの昼食を終え『させられ』た悠は、そのまま足早に病院を後にしていた。 入院費用は既に上司が支払っていたようで、そんな事もあるのかとほんの少し感心しつつ、後でお礼を言っておこうと思った。 「……」 病院から出ると五月の日差しが一気に降り注ぎ、悠は片手で目元を覆う。 あのロケットペンダントは病室を出る時に捨てずに持ってきていた。 それを手に取っても、事件の記憶が蘇るなどという事は無かった。良い意味でも、悪い意味でも。 そして何故か、ペンダント自体には不思議と嫌悪は感じなかった。襲撃犯の持ち物である可能性も存在するのに。 なので―― 「……」 他人からは隠れて見えないと自身に言い聞かせ、服の内側で揺れるペンダントをそっと握りしめる。 オシャレのつもりは無く、かと言って造形や内部の猫の写真が気に入ったわけでもない。 どうしてこれを身に付けたいと思うのか、自身でも謎だった。 身体の不調や異変なども特に無く、そのまま協会支部の建物前に到着。 おそらくは中にいるであろう兄や光輝たち、そして秋津に退院の報告を終えたら、すぐに寄宿舎へと戻ろうと思った。 いつもの外付けの階段を上ろうとした悠は、ふと黒ずくめの服を着た見慣れない人物が建物裏へと回り込もうとしている事に気付いた。そこは、秋津しか使わない裏手の通用口。 小さくため息をつき、手荷物を抱え直して数段上りかけていた階段から足を離した。 「すみません、ここは関係者以外立ち入り禁止です」 黒ずくめの服装の相手――間近でよくよく見るとそれは金色の糸で縁取りされた神父の服であった――へと事務的に応対する。 「便利屋業務の依頼でしたら、電話、もしくは正面側の階段からお入りください。そこで受付の者が要件を承ります」 そこで背後の悠に気づき、振り向いた神父服の人物は。